本と珈琲のある暮らし

小説やビジネス書を好んで読みます。読書の感想や日々感じたことなどをここに記していきたいと思います。

『すずめの戸締まり』感想

基本情報

 

製作年 2022年

上映時間 121分

監督・脚本・原作 新海誠

キャスト 原菜乃華松村北斗ほか

 

 

感想

 

第一印象は、明快にひとつのメッセージを打ち出してくる作品だな、ということでした。

 

象徴的なのは、常世で草太がミミズに語りかけるシーン。「今の我々の生活がいつ失われるかわからない儚いかりそめのものだと分かっているけれど、それでも、一年でも一日でも一時でもその時をともに過ごしたい。」

 

あとは、主人公・すずめが、常世地震直後に母親を亡くした幼少期の自分自身に対して、「今は悲しくて真っ暗だけど、光がある。ちゃんと大人になっていくよ」と語りかけるシーン。

 

前作の「天気の子」では、ある意味モヤモヤを残す終わり方というか、問題提起されっぱなしという印象だったので、そこは今作では違うなと個人的には感じました。

 

 

それから、けっこう地震の恐怖を煽られます。

 

特に、東京で要石(かなめいし)が外れて巨大なミミズが出現し、大地震が起きそうになるとき、ダイジンが「何万人も死ぬね」と明るい声で言うシーン。

 

あとは、すずめが東日本大地震を連想させる地震により母親を亡くしているという生い立ち。

震災の影響を受けている人ほど、記憶を呼び起こされてつらくなってしまうのかもしれないし、この映画に対して何かマイナスな感情を抱いてしまうのかもしれないなと思います。

 

 

全体的な感想としては、大規模な全国上映をする映画として、地震を取り扱う以上、観た人によってかなり賛否分かれるだろうな、と思います。

かつ、単純に「おもしろかった」「楽しかった」と言いづらい内容でもある。

でも、あえてこのテーマを選んで、強いメッセージ性を込めた映画をつくった新海誠監督の心意気や苦悩はすごく感じました(入場時にもらったパンフのインタビューも読んで)し、多くの人が観るであろうことに意味があるように思います。

世界か、愛する人か『天気の子』

 

天気の子

天気の子

  • 醍醐虎汰朗
Amazon

 

感想

 

主人公・帆高が、仲間たちの助けも得ながら、犠牲を厭わずに、空と一体化して人柱となってしまった陽菜を助ける物語。

物語だけでなく、今作は雨のシーンが多いが、降り落ちる雨の描写は実写かと思うくらいきれい。音楽も流すタイミングも書き下ろされた音楽もすごくマッチしていて感情を揺さぶってくる。

 

表面的なあらすじだけならハッピーエンドの物語。でもそれでいいのか?と疑問を投げかけてくるラスト。

 

大衆的ながらも、実際は賛否両論でそうな、かなり思い切った物語。単純に楽しめる、といった訳でもないモヤっと感。

 

帆高の行動は全く関係ない人からしたら「勘弁してくれよ」という感じでエゴに思われるが、映画を観ながらなぜか感情移入して応援してしまう。不条理な大人なんて、社会なんて振り払え。大丈夫だ、これでいいんだ、と肯定してしまう矛盾。

 

それが良いのか悪いのか答えが出せない。

 

新海誠監督のスタイルが、3作目としてどういう形になるのか楽しみ。

 

 

 

シンプルな物語こそ深い『老人と海』

 

 

 

あらすじ(ネタバレあり)


老人は一人で海に出る。大物が掛かるが、釣られて遥か沖合の遠くへ。格闘の末、大物を仕留める。村に帰る道中、幾度も鮫に襲われる。仕留めたり追い払ったりするも、大物はほとんど食べられる骨だけに。何とか村に帰るが老人はボロボロ。老人を師匠のように尊敬する少年は悲しみ、村人たちは老人の船に括り付けられた大物に目を引かれる。

 

 

 

感想


すごくシンプルなストーリー。正直、前情報無しに一読して、「ふーん。大物釣れなくて残念だったね」という一言で終わってしまった。

 


でも、シンプルで唯一の解釈のみを許すような内容でないから、

 

ヘミングウェイの生涯、当時の社会環境などの前知識があるかどうか

 

②読み手の状況

 

によって、大きく感想が分かれるような内容。そしてそれが、この本がずっと読み継がれている理由なのかなと思いました。

同じ人であっても、読むごとに違う発見や視点を与えてくれそうです。

 


振り返ってみると、今まで読んだ本で印象に残るのは、明確に、一つのテーマに対して、一つの答えを示したり問題提起をしたりというような類が多いのかなと思いました。

 

対して、この「老人と海」は、「自然」、「老い」、「釣り」、「ライオンというモチーフへの考察」など、切り口が多く自由で余白がある。こういう小説も楽しめるようになりたいなと思います。

 

以下のYouTubeの動画もとても参考になりました。クイズノックが読書の楽しさを教えてくれる、そんな内容です。

【読書会LIVE】ヘミングウェイ『老人と海』【生放送】 - YouTube

有終の美『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』感想

 

 

 

だいたいのストーリー(ネタバレあり)

 


イギリスの諜報機関MI6を引退した007ことジェームズ・ボンド。恋人のマドレーヌと穏やかな日々を過ごしていた。

 


2人でイタリアを訪れた際、襲われたことでボンドは自身の足取りを掴まれていることから、恋人であるマドレーヌが裏切ったと思い、二度と会うことはないと告げマドレーヌと別れてしまう。

 


そこから5年後。

ボンドは一人ジャマイカで生活していたが、そこにかつての友人であるフィリックスが訪ねボンドに依頼を持ちかける。

 


フィリックスの話に乗りボンドは、キューバを訪れ、そこでCIAエージェントであるパロマと合流。二人でスペクターのパーティに潜入。そこは実は、ボンドの因縁の相手で今は獄中にいるブロフェルドによって、ボンドをナノマシンによって殺害する場とするよう仕組まれていた。しかし、開発者・オブルチェフの手によって運良くそれを回避し、逆にスペクターたちが次々と死亡。ボンドはオブルチェフを連れて脱出に成功。脱出後、フィリックスの元へ行くが、そこで一緒にいた男アッシュの裏切りにより、フィリックスは命を落としてしまう。

 


ブロフェルドと直接面会することにしたボンド。ブロフェルドが会う条件とした、精神科医となっていたマドレーヌとともに面会へ。しかし面会の前にマドレーヌはサフィンという男にブロフェルドを殺すナノマシンを手につけるよう脅されており、それを知らず手に触れたボンドがブロフェルドを殺してしまうことに。このサフィンこそオブルチェフに指示してスペクターたちを殺した張本人だった。

 


その後ボンドはマドレーヌの元を訪れ、過去に疑ったことを謝罪。そこでマドレーヌに子どもがいることも判明する。

その後、サフィンの刺客によりマドレーヌと娘のマチルドが攫われてしまう。攫われた先はサフィンが毒草を育て兵器を製造する島。サフィンはそこで全世界の人々を対象にした殺戮兵器を製造していた。

 


潜入したボンドはマドレーヌとマチルドの救出に成功。その後、イギリス軍によるミサイルでの兵器破壊の準備のため、防護壁の解除に向かうが、サフィンに撃たれ、さらには「触れるとマドレーヌとマチルドが死ぬ」非情なナノマシンに感染させられてしまう。ボンドは最期にマドレーヌと無線で話した後、ミサイルの雨を浴びる。

 

 

 

感想

 


2時間43分の長尺。なっがい!あらすじ書いててよりそう思った。いろいろ起こりすぎ!

 


ちょっと盛りだくさん過ぎて理解、消化しきれてないところが随所にある感じ。あと前作までを観ていないので、つながりのある部分についても理解しきれてないかなという印象。しっかり楽しむためには、前作までのストーリーをきっちり理解しておく必要がある。

 


今までのストーリーの清算的な意味合いが強い作品(ダニエル・クレイグ版007の最終作)だと思うので、これまで007シリーズを観てきた人だからこそ、フルで楽しめる!という感じなのかな?と思いました。

 


とはいえ、前提知識無しでも楽しめるストーリー。前半のイタリアの世界遺産マテーラをロケ地にしたカーアクション、パロマと連携してのアクション、後半のボンドの単身で何人もの兵士を倒していくシーンなど、アクションも楽しめました。

 


それでも、そういったシーンよりは、観賞後はボンドの生き様!が強く心に焼き付くようなストーリーでした。

(あとサフィン役の役者さんラミ・マレックボヘミアン・ラプソディのフレディと同じ役者さんで、おっ!って思った)

 


また、新たな007が始まるとしたらどんな描かれ方をするのか今から楽しみです。

 

 

情報の波に溺れないために『僕らが毎日やっている最強の読み方」

 

 

本書では、佐藤優氏、池上彰氏のお二人が、ふだん新聞、本、雑誌、ネットなどをどのように読んでいるのか、対談形式で、その極意が多数紹介されています。

 


その数なんと70!ひととおり見た感じ、すべてを実践するのは難しいかなとは思うが、一つでも二つでも取り入れることができれば、多いに元がとれる本かなという印象です。

 

 

 

私が個人的に参考になったことは3つです。

 

 

 

①世の中で何が起きているのかを「知る」のが新聞。「理解する」のが書籍。そして理解の土台となる書籍は中学や高校の教科書や古典。

 

 

 

②ネットは便利に見えてとても非効率なツール。その理由は、有益な情報の選別が難しい、信頼性に欠けるものがある、ネットサーフィンの誘惑、情報が偏り増幅されるプリズム効果がある。

 

 

 

③ネットは「読んでいる」のではなく「見ている」だけ。一記事10数秒しか見ていないというニューサイトのデータもあるとか。アウトプット前提で「読む」べし。

 

 

 

特に、③の「アウトプット前提のインプット」はとても共感しました。

 


本で読んだ内容などインプットした情報を忘れないためにはアウトプットが必要!というのは、今までもよく聞いてきましたし、なるべく実践してきました。

 


でも、今回この本を読んで、佐藤氏と池上氏両氏が「講演などのアウトプット前提でインプットしているので、効率的でありしっかり読む」といったお話をされているのを読んで気付きました。より具体的なアウトプットのシチュエーションを想定した上で情報に触れたり、保管したりしないといけないなと!(当たり前ですが…)。

 


例えば、「これ仕事のあの場面で使えるな」とか、「これ飲み会での話のネタになるな」とか。

 


ついつい何となく新聞を見たり、ネットニュースを見たりしがちな自分をちょっとずつ変えていけたらなと思います。

 


情報過多、ノイズ過多な現代で迷う人におすすめの本でした。

 

神は何もしてくれないのか『沈黙』(遠藤周作)

 

 

目次

 

 

「神とは何か?」を考えさせられる物語

 

本書はひと言で言うと、

 

キリシタン弾圧が激しい17世紀初頭の日本を舞台に、外国人宣教師の苦悩をとおして、神とは何か?という問いを投げかけてくる物語

 

でした。

 

  • 歴史が好き、興味がある
  • 宗教(キリスト教)に興味がある
  • 暗い雰囲気の物語が好き
  • 考えさせられる、テーマのある物語が好き

という方には、楽しめる小説だと思いました。

 

 

過酷な状況でも神を信じられるか

本書の主人公であるポルトガルキリスト教司祭ロドリゴは、布教のため日本に渡る。

 

しかし、当時は島原の乱が起き、江戸幕府キリスト教を禁制とし取り締まりを強化していた。

 

何とか日本か辿り着き、運よくキリスト教徒が暮らす村で匿ってもらうこととなるが、それも長くは続かない。キリスト教徒への弾圧は厳しさを増し、非人道的な拷問を目にすることに。

 

そんな状況でも何もせずに沈黙を続ける神、キリスト。今まで信じ続けてきた神の存在さえも疑いはじめる。

 

ロドリゴが苦悩している場面をとおして、読み手も神の存在について考えさせられます。

 

 

たどり着いた結論(ネタバレ含む)

自身が棄教しない(転ばない)ことの代償に穴吊りという残虐な拷問にさらされる教徒たち。先に棄教したフェレイラにも促され、ついにロドリゴは踏絵に足をかけることに。

 

悲惨な状況においても、沈黙し続ける神に対して一時疑問を抱きそうになるロドリゴだが、転んだことさえも神からのお告げと解すに至ります。キリストは沈黙していたのではなく、一緒に寄り添って苦しんでいたのだと。

 

あくまでも神の存在自体を否定するには至らず、表向きは棄教するものの、内心では教徒であり続け、神を信じ続けます。

 

 

感想

ロドリゴの苦悩する様子から「神とは?」「宗教とは?」と、終始問いを投げかけられるようなお話でした。無宗教であっても興味深いテーマだと思いました。

 

また、江戸時代の長崎を舞台にしたお話ということで、歴史(日本史)で習った「島原の乱」「踏絵」などの用語が物語に関わってきます。ただ授業で習うよりも、キリシタン弾圧の様子が生々しく、想像以上に残虐に感じることができます。

宗教、教徒に関して、日本人が同じ日本人に対して拷問など、残虐になれるのかと恐怖を感じました。

 

小説としての書きぶりは、古い作品ではありながら、続きが気になってどんどん読ませる筆致で、内容も宗教や歴史についての予備知識はほぼ不要で読みやすいものでした。

 

古い作品だからと、読まないのはもったいないと思える、おすすめできる作品です。テーマ性もあるので多くの方に読んでもらいたいと思える作品でした。

 

初めての戯曲『ワーニャ伯父さん』

 

 

映画「ドライブ・マイ・カー」にも登場した、ロシアの劇作家チェーホフの『ワーニャ伯父さん』を読んでみた。

 

演劇の台本である戯曲というものを初めて読んだ。

読むと、ほんとうに「演劇の台本だな」という印象。

正直、登場人物の関係が少し複雑。感情移入できないストーリー。戯曲としての書きぶり。たぶん時代の違いと生活様式の違いもあり終始うまく物語に入り込めない感覚があった。

 

 

物語のあらすじとしては、

 

退任した大学教授であるアレクサンドル、その妻エレーナ、アレクサンドルの先妻との子ソーニャ、先妻の母マリア、その子ワーニャらは一つ屋根の下暮らしていた。

ある日アレクサンドルが皆に家を売ってフィンランドに別荘を買うという提案をしたところ、ワーニャはこれまでのアレクサンドルや家への自身の献身を軽視していると感じ強く反発。揉めた後、アレクサンドル夫妻は家を出て行くことに。

ワーニャに対し、その姪であるソーニャは喪失感を抱えて耐えしのんで行きていこうと語りかけるところで物語は終わる。

 


19世紀の帝政ロシアにおける「インテリゲンチア」の挫折の表現でもあるらしい。そういう時代背景も踏まえた内容のよう。

 

あえてこの物語から、共有できる価値観を上げるなら、物語最終盤のソーニャがワーニャに悲しみを抱えながらも耐えて生きていこうと語りかけるように、「これまでの人生を否定されるような絶望を味わっても、耐え忍んで生きていこう」ということかな。

 

戯曲という形式、ロシアの作家、100年以上前に発表された作品ということで、すごくとっつきづらい本だった。演劇として鑑賞すればより理解が深まるのかもしれない。