本と珈琲のある暮らし

小説やビジネス書を好んで読みます。読書の感想や日々感じたことなどをここに記していきたいと思います。

この関係に名前はつけられない『流浪の月』(凪良ゆう)

おもしろい。本屋大賞に去年選ばれてなんとなく買ってなんとなく読んだ時より、2回目に読んだ今回の方が断然おもしろかった。

 

あらすじ

小学生の更紗は自由な両親のもとで自由に暮らしていた。しかし父親が急死し母親に見捨てられ伯母さんの家に行ってから、窮屈な暮らしを強いられ、伯母さんの家の息子に嫌がらせを受けるようになる。そんな時、公園でいつも女の子たちを眺めていたロリコンと思わしき男・文(ふみ)に声をかけられる。もう帰りたくないと思っていたためその男に付いていき、2人の生活が始まる。

一見危険な関係に見えるこの出会いが、更紗の運命を大きく変えていくことになる。

 

感想

この本を読んで1番思ったことは、「人がいかに固定観念に縛られているか」ということでした。

 

更紗と文の関係に、その気持ちに名前はつけられません。家族、彼氏、彼女、夫、妻、友達、知人。人と人との関係性を示す言葉。そのどれにも当てはめられない関係。でもその誰よりも深い関係。

 

わたしたちは親子ではなく、夫婦でもなく、恋人でもなく、友達というのもなんとなくちがう。私たちの間には、言葉にできるようなわかりやすいつながりはなく、なににも守られておらず、それぞれひとりで、けれどそれがお互いをとても近く感じさせている。わたしは、これを、なんと呼べばいいのかわからない。

 

更紗と文の物語を全て知っているからこそ感情移入できるけれど、その一部しか知らなかったらきっと理解できないだろうなと思います。それほどまでに自分は「人と人との関係ってこういうもの」とか、「こういう人は絶対こういうことをする」とかいう固定観念に知らずのうちに縛られているということを思い知らされました。

 

例えば、成人の男が女児を攫った、あるいは関係を持ったというニュースを見れば「とんでもない性癖の男だ。どういう教育を受けたのか」「女児が可愛そうだ。今後が心配だ」といった感想を抱く。でもそこで何があって、どんな感情を抱いているかは、本当の意味では当事者しか分からないし、勝手に自分の思考の枠に当て嵌めて考えてしまっている。

 

こうしたことは人への理解を妨げるかもしれない。更紗と文の関係のようにパターン化できない関係だってある。人間ってとことん複雑だ!

自分を過信せずに謙虚に生きよう。